【不安と苦悩】ムンクの生涯と『叫び』が映す内面世界

「エドヴァルド・ムンク」イメージ ブログ
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【外国人洋画】ノルウェー出身で、表現主義の画家。初期から一貫して死と病を見つめ続け、世紀末的な不安と憂愁が立ちこめる画風で、代表作『叫び』は、内面的な苦悩を象徴するものとしてあまりにも有名です。ノルウェーの首都オスロで美術を学び、1889年、パリに出てゴッホやロートレックといった作品に共鳴を受け、より個人的で象徴的な表現を追求するようになります。

個人的な苦悩や感情を強く反映

「物心ついたころから、私は深い不安感に悩まされており、それを芸術で表現しようとしてきました」と自身は回想しています。「不安と病気がなければ、私は舵のない船のようだったでしょう。」とも。(Artnetより

ムンクはノルウェーのロイテンで生まれました。父親は軍医であり、家庭は比較的裕福でしたが、ムンクが5歳のときに母親が結核で亡くなり、その後姉も同じ病気で亡くなります。このような早期の死別体験が、後のムンクの作品に強い影響を与えました。

学業と初期のキャリア

ムンクは最初、工学を学びましたが、健康上の理由で退学し、絵画に専念することを決意しました。1881年から1886年まで、彼はノルウェー国立美術学校で学び、同時にクリスチャニア(現在のオスロ)で活動している芸術家たちと交流しました。この時期の作品は、主に自然主義や印象派の影響を受けています。

パリと新しい影響

1889年、ムンクは奨学金を受けてパリに渡り、そこでポスト印象派の影響を受けました。特にゴーギャンやゴッホの作品から大きな影響を受け、より個人的で象徴的な表現を追求するようになります。

『叫び』と成功

1893年に発表された『叫び』は、ムンクの代表作であり、彼の名を広めました。この作品は、人間の不安や絶望を強烈に表現したものであり、ムンクの内面的な苦悩を象徴しています。その後も、ムンクは『病気の子』『吸血鬼』『マドンナ』など、多くの象徴的で感情的な作品を制作しました。

晩年

ムンクは1908年に神経衰弱の治療を受け、その後ノルウェーに戻りました。彼の後半生は比較的穏やかで、風景画やポートレートを中心に制作を続けました。彼は第二次世界大戦中もノルウェーに留まり、1944年にオスロで亡くなりました。

市場と評価

さて、そんなムンクの現在の「市場と評価」は・・・

近年も落札レコードを更新。海外でのアート市場では価格が高騰する画家の1人ですが、版画などはありますが、やはり油彩作品などは美術館での鑑賞するぐらいしか拝見することも難しい画家でもあります。国内のアート市場で出品されることは、ほぼ無い状況です。(ギャラリーボヤージュより

最近国内のオークションでも版画作品は目にしますが、中々やはり原画は海外のオークション会社が主流。ムンク自身、エッチング、リトグラフ、木版画と多作な制作者であり、生涯を通して3万点ちかくの版画を制作した。

おわりに

晩年に至って盲目に近い状態にあったムンク。そしてドイツでナチスが台頭する時代。1940年4月ドイツがノルウェーに侵攻。1943年オスロは凄まじい爆発に合い、地下室に避難したが風邪をひき、翌年心臓麻痺を起こして亡くなった。

ちなみに…
その代表作のムンクの『叫び』は5点以上が制作されたとの事。オスロ国立美術館所蔵の油彩画、そして同じくオスロのムンク美術館所蔵のテンペラ画とパステル画(1893年版)とリトグラフが。そして先ほど触れた2012年サザビーズで落札されたパステル画が。そんな中過去には盗難事件もありました。1994年には国立美術館の油彩画が、また2004年にはムンク美術館のテンペラ画が盗難に遭いました。作品は無事に回収できましたが、2004年のテンペラ画だけ液体による損傷で完全には修復ができなかったそうです。(2004年同時に盗まれた『マドンナ』は完全に修復され2008年同時に展示が再開されたそうです。)

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