前田寛治
前田寛治(まえだかんじ)
昭和初期の写実主義の第一人者
鳥取県出身の洋画家。渡仏中に、クールベの写実主義に影響を受け、その造形的な範例を求め婦人像や労働者を描く。帰国後、独自の写実主義の理論を展開し、美術界に新鮮な感銘を与えた。
ただ33歳という若さで早逝し、10年に満たない短い活動期間でありました。では、そんな前田寛治について当ギャラリーの見解をお伝えさせていただきます。
写実主義の画家、マネ、セザンヌを経て
写実主義の理論を展開、フォービズム的筆致の作品を発表しました。主な作品の技法は、油彩、水彩、鉛筆など。ただ活動期間が短いからか、国内のアート市場では寡作の作家の方に入ります。
質感、量感、実像感を三要素とする独持の方法論で
晩年には前田写実研究部(のちの前田写実研究所)を主宰して後進への指導と新たな写実を追求。作品に関しては、やはり真贋も重要になってきます。特に原画の場合、作家によっては鑑定の有無が決め手になります。日本の画壇では、作家それぞれに鑑定機関を設けております。なお前田寛治の鑑定機関は東京・虎ノ門の東京美術倶楽部になります。
前田寛治 略歴
明治29年(1896)-昭和5年(1930)
鳥取県北条町に生まれ。東京で没。
大正4年 | 上京し、白馬会葵橋洋画研究所に入る。 |
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同10年 | 東京美術学校を卒業。在学中は藤島武二に師事。同年、第8回二科展と第3回帝展に入選。 |
同11年 | 渡仏。里見勝蔵、佐伯祐三と交遊を深めた。 |
大正14年 | 帝展で特選。 |
翌15年 | 1930年協会の結成に参加した。 |
昭和4年 | 第10回帝展で帝国美術院賞を受けた。 |
前田寛治 代表作品
- ≪炎々桜島≫
- ≪裸婦≫
- ≪塔≫など
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