三岸節子
三岸節子(みぎしせつこ)
花よりも花らしく
愛知県出身の洋画家。一連の「花」の作品で知られ、生涯「花」をモチーフに制作。だが晩年にはパリの風景にも取り組んでいる。キュビスムからシュールレアリズム、アブストラクトを経て具象へと変換するが、一貫して情熱的な画面を創出した。画壇登場の時から自由で力強い制作で女流画家の旗手的立場に立ち、画壇における女性の地位の確立に貢献した。ちなみに夫が三岸好太郎で、長男・三岸黄太郎氏も同じ画家でした。
なお愛知県一宮市には、生家跡地に建設された「一宮市三岸節子記念美術館」があります。では、そんな三岸節子について当ギャラリーの見解をお伝えさせていただきます。
生涯「花」をモチーフに
洋画だけでなく多くの絵画では、図柄によって、評価や査定額が大きく変動することもあります。画家それぞれに人気のモチーフがあり、人気な図柄ほど評価や査定額が高いのが現状です。日本の画壇では、長年コレクターや購入者に人気な図柄に対して高値がつく事が多いです。静物画、風景画を特に描いてきた三岸節子ですが、やはり花が描かれた作品が人気です。さらに「赤い花」の作品は評価が高く、次に「黄色い花」になります。なお主な作品の技法は、油彩、水彩、鉛筆など。
独特のタッチでボリューム感のある画風に
70年代頃からは風景画家として歩み出しヴェニス、南仏を豊潤な色彩と重厚なマチエールで描いた。やはり真贋も重要になってきます。特に原画の場合、作家によっては鑑定の有無が決め手になります。日本の画壇では、作家それぞれに鑑定機関を設けております。なお三岸節子の鑑定機関は東京・虎ノ門の東京美術倶楽部になります。
三岸節子 略歴
明治38年(1905)-平成11年(1999)
愛知県尾西市で生まれ、神奈川県大磯で没。16才で上京し、本郷絵画研究所で岡田三郎助に師事した。
大正13年 | 女子美術学校を卒業。三岸好太郎と結婚。 |
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同14年 | 第3回春陽会展に初入選。 |
昭和7年 | 春陽会から独立美術協会へ転じ、その第2回展に出品。 |
同9年 | 三岸好太郎が31歳で死去する。 |
同14年 | 独立美術協会を退き、新制作協会会員になる。 |
同21年 | 佐伯米子らと女流画家協会を創立。 |
同25年 | 第14回新制作展に出品した≪金魚≫が文部省買い上げとなり、≪梔子≫が芸術選奨文部大臣賞を受賞する。 |
同29年 | 長男黄太郎の滞在するフランスを訪れ、スペイン、イタリアなどを廻って30年夏に帰国する。 |
平成6年 | 女性洋画家として初めて文化功労者に選ばれた。 |
三岸節子 代表作品
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- ≪自画像≫
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- ≪ブルゴーニュにて≫
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- ≪さいた さいた さくらが さいた≫など
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