土田麦僊
土田麦僊(つちだばくせん)
東洋と西洋の融合に果敢に挑んだ日本画家
17歳で竹内栖鳳の弟子となり、入門半年足らずで新古美術展に入賞。数々の絵画展で評価され、急速に画才を開花させる。ゴーギャンの影響が強くにじむ≪島の女≫や、ルノワール風の女性表現と桃山絵画の装飾美を巧みに融合した≪湯女≫などからは、西洋の美術思潮を意欲的に学び、従来にない大胆な表現に挑戦していたことがうかがえます。
1921年(大正10年)から1年半、ヨーロッパでの遊学も経験しているそうです。では、そんな土田麦僊について当ギャラリーの見解をお伝えさせていただきます。
イタリア・ルネサンスのフレスコ画の影響
晩年の作品は、線が細く、繊細で鋭いため「鉄線描」と名付けた技法を好んだ。真っ直ぐで迷いのない線で描かれているのが特徴。
やまと絵や四条派の技法に西洋画の技法を取り入れ
作品の技法に関しても本画なのか?版画なのか?作技によっても評価や査定額が変わります。日本画に関しては、やはり本画が水彩画やデッサンより高額な値がつきます。土田麦僊の主な作品種類は、絹本・彩色、紙本・彩色、鉛筆など。なお鑑定機関は東京・新橋の東京美術倶楽部になります。
土田麦僊 略歴
明治20年(1887)- 昭和11年(1936)
新潟県佐渡に生まれ、京都で没。
17歳のとき京都に出て鈴木松年の門に入り、のち竹内栖鳳に師事した。
明治42年 | 京都市立絵画専門学校が設立されるとともに入学。 |
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明治44年 | 第5回文展≪髪≫で注目された。 |
大正7年 | 国画創作協会を村上華岳、小野竹喬らと設立。 |
大正12年 | 画塾山南会を設立。 |
昭和3年 | 国画創作協会解散後に帝展に復帰した。 |
昭和9年 | 帝国美術院会員に。 |
土田麦僊 代表作品
- ≪湯女≫
- ≪三人の舞妓≫
- ≪舞妓林泉図≫など
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