鳥海青児
鳥海青児(ちょうかいせいじ)
独持の風土感と重厚な画肌の絵画
重厚なマチエールや色と形に充実した日本的な感性を秘めた画風を展開した。茶色を基調とした土壁の絵画を制作したとも言える神奈川県出身の洋画家。1930年モスクワ経由で渡仏し、アルジェリア、モロッコの欧州各地に旅行。帰国後、日本的な油彩画の一定型を作り出した。
1938、39年に中国旅行を試み、また日本の古美術への傾倒を深め、初期肉筆浮世絵、仏画、古陶磁などの蒐集も始めた。では、そんな鳥海青児について当ギャラリーの見解をお伝えさせていただきます。
絵具に砂を混ぜ、暗くて激しい作調を示した
作品の技法に関しても本画なのか?版画なのか?作技によっても評価や査定額が変わります。洋画に関しては、やはり油彩画が水彩画やデッサンより高額な値がつきます。なお鳥海青児の主な作品の技法は、油彩、水彩、鉛筆など。砂を絵具に混ぜて使用するなど独特なマチエールにこだわった。
ゴヤ、レンブラントの作品に強い影響を受けて
やはり真贋も重要になってきます。特に原画の場合、作家によっては鑑定の有無が決め手になります。日本の画壇では、作家それぞれに鑑定機関を設けております。なお鳥海青児の鑑定機関は東京・虎ノ門の東京美術倶楽部になります。
鳥海青児 略歴
明治35年(1902)-昭和47年(1972)
神奈川県平塚に生れ、東京で没。
大正13年 | 関西大学経済学部在学中、春陽会展に≪平塚風景≫(神奈川県近代美術館)等を出品、初入選。同年三岸好太郎、横堀角次郎らと麓人社を結成。 |
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同15年 | 関西大学経済学部卒業。岸田劉生に冬菜の画号を受ける。 |
昭和3年 | 第6回春陽会賞受賞。翌5年から8年までヨーロッパ各地を旅行した。 |
翌5年から | ヨーロッパ各地を旅行。 |
同8年 | 帰国後、春陽会会員。 |
同18年 | 春陽会を退会し、独立美術協会員になり、以後独立展に出品する。戦後は野口弥太郎、林武、里見勝蔵らと親交を深める。日本国際美術展、現代日本美術展へも第1回展から出品。 |
同31年 | 第6回芸術選奨文部大臣賞を受賞。 |
同34年 | 第10回毎日美術賞を受賞。 |
鳥海青児 代表作品
- ≪ピカドール≫
- ≪段々畠≫など
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