【外国人洋画】19世紀から20世紀にかけて活躍したフランスの印象主義の画家。ドガは1834年、パリで裕福な銀行家の家庭に生まれました。家族は芸術や文化に対して非常に理解があり、ドガの芸術的才能を早くから支援。はじめは新古典主義に惹かれるが、印象派の作風に転換。しかしモネなど典型的な印象主義画家と異なり、その基盤は古典を学ぶ精神も持ち合わせてました。そんなドガですが、晩年まで自身の意志を曲げず、他人と協力しない日々を過ごしていました。
繊細な色使いと動きの表現
バレリーナの描写で知られる印象派の重要なメンバーで、消極的ながらも活躍した。同時代のエドゥアール・マネと同様、ドガはグループの他のメンバーと同調することを嫌がった。洗練された描画スタイルで他とは一線を画していたからだ。「絵画には、少しの謎、曖昧さ、ファンタジーが必要だ」と語っています。(Artnetより)
踊り子や馬のレース、労働者など、日常の一瞬を捉えた作品が多いです。
芸術活動の始まり
イタリアでの修行
1856年から1859年までイタリアに滞在し、そこでルネサンス絵画を研究し、多くの模写を行いました。この時期の経験は彼の技術とスタイルに深く影響を与えました。
初期作品
帰国後、彼は歴史画を描き始めますが、次第に現代生活の描写へと移行していきます。
印象派との関わり
印象派展
1874年に開催された第一回印象派展に参加し、ここでドガは多くの注目を集めました。彼はこのグループの中心人物の一人となり、以降の印象派展にも積極的に参加しました。
晩年と死
晩年の活動
そんなドガは晩年に視力を失い、制作活動が次第に困難になりました。それでも彼は創作を続け、触覚を頼りに彫刻を制作しました。ですが、1917年にパリで83歳で亡くなりました。
市場と評価
さて、そんなドガの現在の「市場と評価」は・・・
ドガの場合、やはりパステル画で有名な作家です。「踊り子」が描かれた作品が特に評価が高く、10億円を超える作品もあります。(ギャラリーボヤージュより)
生涯を通して、バレエ関連の作品を約1,500点ちかく制作しました。
おわりに
晩年は孤独狷介な日々を過ごしていたドガ。実家も資産家から、家業が傾き、やがて当の本人も失明に近い状態に。最後は脳溢血で没しました。
ちなみに…
その晩年。「彫刻」を制作と先ほど触れましたが、同じ時期の1880年代後半ぐらいには、「写真撮影」にも強い関心を示していたそうです。カメラのスナップショットのように瞬間を切り取った作品も残しております。