【外国人洋画】アイルランドのダブリン出身の作家。歪曲された顔や体躯を異質な形で描き、現代における人間の孤独さを表現した。その暗くて歪んだ人物画は、戦後の不安定な社会状況を反映しています。
絶望と不幸の感情は
「私は、芸術家は情熱と絶望によって養われなければならないと強く感じています」とフランシス・ベーコンはかつて語っています。「絶望と不幸の感情は、満足感よりも芸術家にとって有益です。なぜなら、絶望と不幸は、人の感性全体を伸ばすからです。」とも。(Artnetより)
フランシス・ベーコンは、1909年にアイルランドのダブリンで生まれました。父親は退役軍人で馬の調教師、母親は鉱山主の娘でした。彼の幼少期は家庭内での緊張関係や父親との葛藤に彩られていました。1926年、17歳で家出し、ロンドン、ベルリン、パリなどで過ごしました。
生涯の概略
初期のキャリア
フランシス・ベーコンは美術教育を正式に受けることなく独学で絵画を学びました。1929年頃から家具デザインやインテリアデザインに携わりながら、絵画制作を始めました。1933年には最初の重要な作品『十字架像の前に立つ男』を発表し注目されましたが、その後の数年間は画家としての成功をつかむことができませんでした。
戦後の成功
第二次世界大戦後、フランシス・ベーコンは本格的に絵画制作に専念しました。1944年に発表した『三部作の形での十字架降架』が大きな注目を集め、彼のキャリアの転機となりました。フランシス・ベーコンの作品は、歪んだ人間の形や感情の深い闇を表現し、見る者に強い印象を与えました。
1950年代から1960年代
フランシス・ベーコンは1950年代から1960年代にかけて、国際的な評価を確立しました。この時期、彼は人間の顔や身体を歪めたポートレートを多く制作しました。また、ヴェラスケスの『教皇インノケンティウス10世』を基にした一連の作品も有名です。彼の絵画は、しばしば心理的な緊張や苦悩をテーマにしており、強烈な色彩と大胆な筆致が特徴です。
晩年と遺産
1971年、フランシス・ベーコンの個展がパリのグラン・パレで開催され、大成功を収めました。彼は晩年まで精力的に制作を続け、多くの重要な作品を残しました。1992年にマドリードで心臓発作により亡くなりました。
市場と評価
さて、そんなフランシス・ベーコンの現在の「市場と評価」は・・・
やはり油彩作品などは海外のアート市場が主流となり、国内のアート市場で出品される作品はリトグラフなど版画が中心になります。版画でも比較的に高額の場合もあります。(相場の範囲は50万~200万円ぐらい)ただサインの直筆は必須になります。(ギャラリーボヤージュより)
なおフランシス・ベーコンの作品で最も高額で落札されたのは、『ルシアン・フロイドの三つの習作』(1969年)で、2013年Christie’sで1億4240万ドルで落札。当時、美術品としては過去最高の落札額だったそうです。
おわりに
国際的な評価を受けた時期の60年代にも、フランシス・ベーコンはロンドン・ソーホーにあった会員制のバー「コロニー・ルーム」に足しげく通い、その中には、友人のイザベル・ローソーン、ヘンリエッタ・モラエス、さらに芸術家ルシアン・フロイド、そして彼の恋人ジョージ・ダイアーがいました。(Christie’sより)
ちなみに…
フランシス・ベーコンを扱った映画として、イギリス・日本合作の「愛の悪魔/フランシス・ベイコンの歪んだ肖像」(1998年)(Wikipediaより)があります。なお音楽は坂本龍一が担当。