【外国人洋画】フランス出身のフォーヴィズム(野獣派)のリーダー的存在。ギュスターヴ・モローに師事し、初めは写実的な手法で描いていました。しかしゴッホ、ゴーギャンの影響を受け、自由な色彩による活き活きとした絵画を目指すようになり、やがて線の単純化、色彩の単純化を追求した結果、「切り絵」に到達。しかしそんなマティスの晩年は・・・
抑制のない色彩、独創的な人物描写
「私が夢見るのは、不安や憂鬱を引き起こす主題のない、バランスのとれた、純粋で平穏な芸術です。」と語っています。(Artnetより)
若い頃、法律を学び、パリで弁護士としての道を歩み始めましたが、1890年に盲腸の手術後の療養中に母親から絵の道具を贈られたことがきっかけで絵画に目覚め、芸術家の道を選びます。
芸術教育と初期のキャリア
美術学校
1891年にパリのアカデミー・ジュリアンに入学し、ウィリアム・アドルフ・ブグローの指導を受けました。その後、エコール・デ・ボザールでギュスターヴ・モローのもとで学びました。
初期の作品
初期の作品は、印象派やポスト印象派の影響を受けています。特にポール・セザンヌやヴァン・ゴッホからの影響が強く見られます。
フォーヴィスムと成功
フォーヴィスムの誕生
1905年、マティスはアンデパンダン展で明るく大胆な色彩を使用した作品を発表し、「野獣派(フォーヴ)」と呼ばれる芸術運動の先駆者となりました。代表作には『帽子の女(La Femme au Chapeau)』があります。
色彩の探求
フォーヴィスムでは、彼は色彩の純粋な表現力を追求し、形態よりも色彩の感覚に重点を置きました。これにより、彼の作品は強烈でエネルギッシュな印象を与えます。
中期のキャリア
モロッコと影響
1912年と1913年にモロッコを訪れ、異国の風景や光、色彩に感銘を受けました。これが彼の作品にさらなる色彩の豊かさと異国情緒をもたらしました。
静物画と室内画
この時期、マティスは室内画や静物画を多く手掛け、その中には装飾的な要素や東洋的な影響が色濃く反映されています。
晩年と晩期の作品
コリウールと南仏
1920年代から南フランスのコリウールやニースに滞在し、明るい色彩と柔らかな光の影響を受けた作品を制作しました。
切り絵の制作
1941年に重病を患った後、身体的な制約からキャンバスへの絵画制作が難しくなり、切り絵の技法を用いるようになりました。これにより、『ジャズ』(1947年)シリーズなど、独自のスタイルが生まれました。
晩年の活動
晩年には、ヴァンスのロザリオ礼拝堂のデザインを手掛けました。これにはステンドグラスや壁画が含まれ、彼の芸術の集大成ともいえる作品群です。
市場と評価
さて、そんなマティスの現在の「市場と評価」は・・・
マティスの油彩画の場合、1億円以上する作品がほとんどです。デッサンでも1,000万円以上する傾向です。版画・挿絵本はよく国内オークションでも出品されますが、やはり海外が主流です。(ギャラリーボヤージュより)
少し古いデータですが、Sotheby’sによると、2003年から2017年の間にオークションで転売されたマティス作品の平均複利年間収益は4.8%で、200点の作品のうち78.5%の価値が上昇したとの事。
おわりに
マティスは高齢になるにつれ、2度の大手術を受けるなど健康上の問題に直面しました。しかし、マティスは身体的な制約にもかかわらず、創造力を失わずに美術活動を続けました。
ちなみに…
去年東京・上野の東京都美術館で20年ぶりの大回顧展「マティス展 Henri Matisse:The Path to Color」が開催され、今年2月には東京・六本木の国立新美術館で「マティス 自由なフォルム」が開催されました。「切り紙絵」の重要なコレクションを誇るフランスのニース市マティス美術館の全面協力のもと、「切り紙絵」に注目した展覧会が開催されました。(公式サイトより)