ジャン・ミシェル・バスキア
ジャン・ミシェル・バスキア(Jean-Michel Basquiat)
詩的なグラフィティ
突出したセンスとストリートで培った独持の作風で、そのペイントは滑稽だが、それぞれの作品には政治、宗教、哲学が暗に込められていた。ニューヨークのブルックリン出身で、1980年代に成功を収めた影響力のあるハイチ系アメリカ人アーティスト。
27歳の若さで亡くなるまでの画業と人生でした。 そんなバスキアについて当ギャラリーの見解をお伝えさせていただきます。
タイポグラフィが色彩のごとく画面と同化
地下鉄やソーホーの壁の落書きが世界的な注目を集め、ドイツの世界最大級の現代アート展「ドクメンタ」に史上最年少で選出されたバスキア。主な作品の技法は、油彩、シルクスクリーンなど。
国内では世田谷美術館、高知県立美術館などにコレクションが
ただやはり海外が主流になり、オリジナル作品が国内のアート市場で出品されることは、ほぼ無いです。版画自身も流通性は低い。
バスキア 略歴
1960-1988
ニューヨークのブルックリンに生まれる。父親はハイチ人。母親はプエルトリコ人。
1974年 | 父親の仕事で2年間、プエルトリコに住んだ。 |
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1976年 | ニューヨークに戻りブルックリンにある高校に進む。 |
1977年 | グラフィティ・アーティストのアリ・ディアズと共に、SAMOという架空のアーティスト名を作り、マンハッタン南端部の建物にグラフィティ・スプレー・ペイントをして、SAMOのサインを入れた。同年、高校を中退。 |
1980年 | Colabとタイムズ・スクエアのファッション・ギャラリーで、最初のグループ展。 |
1981年 | イタリアで個展を開く。 |
1982年 | ニューヨークで個展を開き、その後スイス、ロサンゼルスなどで個展を開く。この年、アンディ・ウォーホルと出会う。 |
1984年 | ウォーホル、クレメンテとともに共作。 |
1985年 | スイス、ニューヨーク、東京で個展。 |
1987年 | パリで個展。同年、ウォーホールが死去。互いに刺激しあう関係だった。 |
バスキア 代表作品
- ≪リンソ≫
- ≪ペル・キャピタ≫(一人当たり)など
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