熊谷守一
熊谷守一(くまがいもりかず)
「仙人」とよばれた画家
岐阜県の富裕層の出身でありながら、売るための絵を描かず、貧乏生活を送った熊谷守一。文化勲章と勲三等叙勲の内定をも辞退し、97歳まで現役の画家でした。
晩年は花や虫や鳥など身近なものを多く描き、強い輪郭線と色で独特の様式を確立しました。では、そんな熊谷守一について当ギャラリーでの価格査定の見解をお伝えさせていただきます。
穏やかでユーモラス
同じ作家でも、どうしても作品のクオリティは年代によって変わってきます。描きが細かく完成度が高い作品や、作家の全盛期の作品は、評価や査定額が高くなる傾向があります。熊谷守一の場合、初期のころは荒々しいフォービズムな作風であったが、徐々にシンプルな味わいある作風に変化。やはり晩年の花、虫、鳥の作品が人気です。
素描・水墨画も多く描いた
作品の技法に関しても本画なのか?版画なのか?作技によっても評価や査定額が変わります。洋画に関しては、やはり油彩画が水彩画やデッサンより高額な値がつきます。熊谷守一の場合、主な作品種類は油彩、水彩、水墨、パステル、デッサンなど。ただ簡略化された図柄が多いためか、偽物もかなり出回っています。なお鑑定機関は東京・虎ノ門の東京美術倶楽部になり、水墨・淡彩画などの作品に関しては「熊谷守一水墨淡彩画鑑定登録委員会」で、受付窓口は東京・京橋の京橋画廊になります。
熊谷守一 作品
≪扶桑≫
≪椿≫
≪尾長≫
熊谷守一 略歴
明治13年(1880)-昭和52年(1977)
岐阜県恵那郡に生まれ、東京で没。
明治37年 | 東京美術学校西洋画科選科を卒業。 |
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大正4年 | 二科展での出品を続ける。 |
大正5年 | 二科会会員に。 |
昭和22年 | 二紀会の創立に参加。 |
昭和26年 | 無所属作家になり、世俗から離れ、自由に制作。 |
熊谷守一 代表作品
- ≪陽が死んだ日≫
- ≪朝日≫
- ≪白猫≫など
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