富岡鉄斎
富岡鉄斎(とみおかてっさい)
孤高の最後の文人画家
文人画の最後の代表的作家。幼少より国学や儒学、詩文等を学び、その作品は文人画と呼ばれている。自由奔放で、高潔清澄で力強い文人画の世界を切り開いた。八十歳を過ぎてからますます創作意欲をふくらませた鉄斎は、理想郷ばかりでなく、中国の古典、日本の神話、寓話に基づく作品を多く残している。
富岡鉄斎自身は、画家は余技で、学者を本職と認識していた。では、そんな富岡鉄斎について当ギャラリーの見解をお伝えさせていただきます。
文人画の近代的蘇生を
昔の中国において、職業画家でない文人 (知識人) の制作する絵画のことを文人画と言いましたが、やはり文人画の影響が強い富岡鉄斎の場合、書と画が一体の作品の方が評価は高い。主な作品種類は絹本・彩色、紙本・彩色、水墨画、版画など。
水墨画に独自の画境を
やはり真贋も重要になってきます。特に原画の場合、作家によっては鑑定の有無が決め手になります。日本画界では、作家それぞれに鑑定機関を設けております。なお富岡鉄斎の鑑定機関は、大阪の大阪美術倶楽部が窓口で「富岡鉄斎鑑定委員会」になります。
富岡鉄斎 略歴
天保7年(1837)-大正13年(1924)
京都に生まれ。同地で没。
15歳頃から国学、漢学を学び、18歳頃から南画を窪田雪鷹、小田海仙に、大和絵を浮田一薫に学んだ。幕末に勤皇学者として国事に奔走し、繧新後は大和石上神宮少宮司などをつとめ、神道の復興に力を注ぐ一方、京都美術協会を中心に制作した。学者として、該博な漢籍、国学の知識と絶え間ない旅行とに画の根拠を求めて、学問と画の世界に精進した。
大正6年 | 帝室技芸員。 |
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同8年 | 帝国美術院会員。 |
富岡鉄斎 代表作品
- ≪曙光≫
- ≪旧蝦夷風俗図≫など
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