ゴッホ
フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh)
激しいタッチと鮮烈な色彩
オランダのポスト印象派の代表的画家。伝道師を目指していたが、独学し27歳で画家に転身。オランダ、パリ、南仏と精力的に活躍。病の問題から精神的な危機にも見舞われながら、燃えるようなタッチで精神世界を描く画風を確立。表現主義の登場を予告するような画家となった。
また弟・テオとの書簡集は有名であり、その中にはゴッホ自身の芸術に対する姿勢が如実に表れている。そんなゴッホについて当ギャラリーの見解をお伝えさせていただきます。
原画のゴッホ作品が海外市場に出回るのも僅かですが
現在もアート市場では価格が高騰する作家のひとり。なお、オランダのアムステルダムにあるファン・ゴッホ美術館が鑑定機関にあたります。
ゴッホの「ひまわり」は全世界で7点、水彩なども含めると10数点
主な作品の技法は、油彩、水彩、デッサンなど。カタログ・レゾネは、ゴッホの研究で知られるヤン・フルスケル(Jan Hulsker)著書の書籍があります。
ピカソ 作品
≪アルルの高架橋≫
≪オーヴェールの教会≫
≪ひまわり≫
ゴッホ 略歴
1853-1890
オランダの南ブラバント州ズンデルトで牧師の家庭に生まれる。
1880年 | 画家になる決意。ブリュッセルのアカデミーで解剖学と遠近法を学ぶ。 |
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1882年 | 従兄の画家、アントン・マウフェに就いて本格的に画業開始。 |
1886年 | モンマルトルのアトリエに通い、ロートレックらと知り合う。また、印象派を知り、次第に色彩に変化が生じていく。 |
1888年 | パリの喧噪を逃れ、南仏のアルルへ。ラマルティーヌ広場に「黄色い家」をアトリエ兼住居として賃貸。 ゴッホとしての独自の画業に到達。ゴーギャンが到着し共同生活をはじめるが、すぐに確執・決別。 |
1889年 | サン=レミの精神療養院に自ら入院。 |
1890年 | ブリュッセルの「レ・ヴァン(20人会)」展に作品が出品される。アンデパンダン展に10点出品。 |
ゴッホ 代表作品
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- ≪ひまわり≫
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- ≪夜のカフェテラス≫
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- ≪カラスのいる麦畑≫など
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