安井曽太郎
安井曾太郎(やすいそうたろう)
写実精神を貫き、和洋折衷の絵画を確立
京都府出身の洋画家。写実を基調に、日本の風土にあった清爽堅実な作風を確立した。
風景、静物画のほかにも「肖像画の名手」と呼ばれ、多くの実業家、政治家、学者から制作依頼が舞い込んだそうです。では、そんな安井曾太郎について当ギャラリーの見解をお伝えさせていただきます。
梅原がルノワールに憧れたように、セザンヌに傾倒した時期も
洋画だけでなく多くの絵画では、図柄によって、評価や査定額が大きく変動することもあります。画家それぞれに人気のモチーフがあり、人気な図柄ほど評価や査定額が高いのが現状です。日本の画壇では、コレクターや購入者に人気な図柄に対して高値がつく事が多いです。安井曾太郎の場合、フランスから帰国後スランプに陥り、裸婦や女性像の画風確立で脱却したが、国内のアート市場では、やはり静物画や風景画の作品の方が人気な傾向です。
艶麗な色彩を支える白と黒の巧み画面構成
作品の技法に関しても本画なのか?版画なのか?作技によっても評価や査定額が変わります。洋画に関しては、やはり油彩画が水彩画やデッサンより高額な値がつきます。安井曾太郎の場合、主な作品種類は油彩、水彩、デッサンなど。また鑑定機関は東京・虎ノ門の東京美術倶楽部になります。
安井曾太郎 作品
≪風景≫
≪婦人像≫
安井曾太郎 略歴
明治21年(1888)-昭和30年(1955)
京都に生まれ、神奈川県湯河原で没。
明治37年 | 聖護院洋画研究所で浅井忠に師事し、のち関西美術院に移った。 |
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明治40年 | フランスに渡ってアカデミー・ジュリアンに入リ、ジャン=ポール・ローランスに学んだ。 |
大正4年 | 帰国。 |
大正5年 | 第2回二科展に滞欧作を特別陳列し、一躍画壇に認められ、二科会会員となった。 |
昭和10年 | 帝国美術院会員となる。 |
昭和11年 | 一水会を創立した。 |
昭和19年 | 帝室技芸員、東京美術学校教授に任ぜられる。 |
昭和24年 | 日本美術批評家連盟初代会長に。 |
昭和27年 | 文化勲章を受章した。 |
安井曾太郎 代表作品
- ≪孔雀と女≫
- ≪金蓉≫など
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